2015年2月アーカイブ

 近江商人発祥の地として広く知られている東近江市の五個荘地区、早春のこの時期、商人屋敷でのひなかざりが催されています。町並みの散策を兼ねて訪ねてみました。JRの能登川駅からバスで約20分、金堂地区へ向かいます。バス停を降りると、地区の中心、弘誓寺の本堂の大きな屋根が見えます、このお寺を囲むように商人屋敷が軒を連ねています。

 

  「弘誓寺」への道筋です。白壁や板塀が町並みの景観を落着いたものにしています。

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  「弘誓寺」の前の水路には多くの鯉が泳いでいます。

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  「弘誓寺」(ぐせいじ)の山門です。正応3年(1290年)愚咄賢空坊(ぐとつけんくうぼう)の開基と伝えられ、浄土真宗大谷派に属しています。

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  立派な「本堂」が目印となる大屋根の美しい甍を見せています。宝暦14年(1764年)に建立され、重要文化財に指定されています。

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   隣接する「浄栄寺」です。

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  「寺前、鯉通り」です。

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  「外村宇兵衛邸」です。「御幸毛織」の初代社長宅です。

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   「川戸」(かわと)です。玄関のすぐ側にあり、外部の水路から屋敷内に引き込み、防火用水や洗い場などに使用されています。

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   豪華な「古今雛御殿飾り」です。(江戸時代 慶応2年)御殿を京の御所に見立てた建物のなかに、内裏雛を飾っています。

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  「御殿飾り」が座敷に二組が飾られています。

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   同じく、「御殿飾り」です。(江戸時代後期)建物は紫宸殿と神殿を模したものです。

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  お祝いに来られた主人をお供が待っているところです。ユーモアのある表情に味があります。

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   「有職雛」(昭和時代)のものです。有職(ゆうそく)とは朝廷や武家の官職、典例に関する知識などに詳しい人で、これにちなんでできた人形のことです。

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  二階の座敷には、有職雛(昭和10年)が飾られていました。

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  「内蔵」です。母屋から直接蔵に入る事ができます。

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   内部は1,2階とも、売り手よし、買い手よし、世間によしの「三方よし」の商店の展示室になっています。

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   広い土間の「水屋」(台所)です。使用人も多く抱えておられたのでしょう、かまどが多く並んでいます。

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   大きな庭園があり、四阿や茶亭が備えられています。

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  隣接する「外村繁邸」です。外村宇兵衛の分家として始まりました。作家外村繁の生家であり「外村繁文学館」となっています。

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   「有職式正仕立」 御雛さんです。

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    内裏ひな「男雛」です。明治31年

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    内裏ひな「女雛」です。明治31年

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  「内蔵」は1,2階とも、外村繁の展示室となっています。梶井基次郎、中谷孝雄をはじめ、井伏鱒二や太宰治等との交流など多彩な展示物で、外村繁の作家としての生涯を展示しています。

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  外村繁邸にも広い「水屋」(台所)があります。井戸の横には流しもあります。

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  「勝元宗益」作庭の広い庭が手入れされています。

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   中江邸への道すがら「花筏通り」の風景です。

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   土蔵の壁面には「船板」が面白い意匠として目を惹きます。

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  「中江準五郎邸」です。朝鮮半島や中国大陸で隆盛を誇った「三中井百貨店」の経営者の一族として、辣腕を振るいましたが昭和20年の敗戦と共に衰退しました。

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   「清湖雛」(せいこびな)と呼ばれ、新しい感覚のお雛さまです。「近江八景 矢橋の帰帆」として平成27年製作されたものです。

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  「無垢の神」平成23年製作です。湖南は滋賀県の中心地。原点に復帰し、「純粋、清楚な気持ちで、未来に向かって進んでいきたいの思いで、白無垢十二単になっています。

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  シンプルな「内裏雛」です。

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  「池泉回遊式」の広い庭園が眺める事ができます。

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  「大城神社」へと向かいます。

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  「大城神社」(おおぎじんじゃ)です。推古29年(621年)聖徳太子が金堂寺を開いた際に、鎮守社として創建されました。祭神は伊邪那岐神、菅原道真、他3神です。背後に大きな森に囲まれていて、前面には巨石を積んだ石垣が続いています。

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  「拝殿」です。

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  「本殿」です。

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  「金堂地区」の散策を楽しんだ後、「三方よしの観光案内所」の薦めで、能登川駅へ向かうバスを途中下車して、石馬寺へ立寄りました。残念ながら月曜日で、阿弥陀如来像など重要文化財の多い寺宝は拝観出来ませんでしたが、山懐に抱かれた静謐な境内を散策することができました。「石馬寺」(いしばじ)は臨済宗妙心寺派の寺院で、ご本尊は「十一面観世音菩薩」で、開基は聖徳太子と伝えられています。

 

  「大門跡」の参道入口です。

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  鬱蒼とした木立のなか、苔むした乱れ石の積まれた、長い階段を上っていきます。右に石馬寺へ、左は六所神社へ、まっすぐ雨宮龍神社への参道と分かれます。

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  左の参道、「六所神社」の鳥居です。

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  右の「石馬寺」へと上がっていきます。

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   「本堂」です。

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  「六所神社」とは地続きとなっています、巨岩の向こうに六所神社の拝殿があります。

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  また急な階段を戻っていきます。

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  湖東には名刹も多く、魅力溢れる地域といえるでしょう。その地域、その地域に郷土を愛する人々が守り育てていこうとする熱意を強く感じます。石馬寺は、仏像や秋の紅葉は素晴らしそうで再度訪れてみようと思います。

 

「聖護院」の節分行事

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 聖護院は正式には、本山修験宗総本山 「聖護院門跡」(しょうごいんもんぜき)といい修験道のお寺で、山伏のお寺です。京都では昔から「聖護院御殿」と通称で呼ばれていました、というのは明治以前は鴨川まで広大な聖護院の森が広がり、森御殿と呼ばれていたことから由来します。開基は僧、増誉で寛治4年(1090年)に創建されました。ご本尊は不動明王です。

 

  「山門」です。

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  早速に赤鬼さんがお出迎えです。

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  「山門」をくぐると、「御殿入口」です。

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   「中門」を入っていきます、

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  「宸殿」の前にも鬼さんがポーズをとってくれました。

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    「宸殿」です。

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  「豆まき」の準備が始まっています。

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   「豆まき式」の始まりです。列席者の名簿が読み上げられて順次入場してこられます。

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   列席者が整列されると、法螺貝の音の先導のもと、導師さまも宸殿に入場されます。

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  宸殿に鬼も雄叫びを上げて乱入してきます。

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   4匹の鬼が宸殿の回廊をユーモラスに暴れています。

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  導師さんを始め皆さんの豆で鬼祓いが行われ、鬼たちも降参し、大人しくなり改心し、皆さんと一緒に豆まきを始めます。

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   多くの参詣者に福豆が撒かれます。

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  山伏さんたちも笑顔いっぱいで福豆を授けておられます。

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  最後に鬼さんの金棒で福が降り注ぐように頭をなぜてもらい、豆まき式は終わりを告げます。 

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  「豆まき式」が終わると、宸殿前の道場で「採燈大護摩供」が行われました。護摩供とはお参りの皆さんの願事が書かれた護摩木を、護摩壇に投げ入れてお炊き上げをし、所願成就をお祈りする儀式です。中央に護摩壇が設けられています。古来、山伏が山岳修行の際護摩壇を設け、所願成就を祈願する行事です。

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  「導師さま」や山伏たちの入場のあと、山伏問答などがあり、式が始まります。

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  採燈護摩壇木を切り出す作法「神斧」、道場内の魔と自己の魔を断ち切る作法「寶剣」、四方の外魔を道場内に入り込ませない作法「寶弓」を行います。写真は寶弓の作法です。

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  山伏さんの吹く法螺貝の音が2月の寒風の中に響き渡ります。

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   いよいよ点火です。

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  次第に煙が立ち昇ります。煙が多く立ち上るほど良いとされています。

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  読経が続く中、次々と護摩木が投げ入れられて、煙が天を覆います。

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  信徒の方の願い事の「願文」を読み上げる山伏の皆さん。

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   導師の山伏さんを先頭に退席されて、「採燈大護摩供」も滞りなく終わりました。

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   2日3日と聖護院界隈での節分祭も終わり、喧騒に包まれたこの辺りにも、また静かな日々が戻ってくる事でしょう。

 

 

「須賀神社」の縁結び

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「須賀神社」は平安時代末の康治元年(1142年)美福門院の建てた歓喜光院の鎮守として創祀されたもので、祭神は素戔嗚尊、櫛稲田比売命、が主神です。もとの社寺は、今の平安神宮の境内に創建されました。その後、幾多の変遷を経て、明治の廃仏毀釈の時に須賀神社となり、大正13年(1924年)現在の地に移りました、その後、昭和に交通神社を分祀しました。須賀神社の節分祭といえば、「懸想文売り」が登場するのが珍しく、多くの参詣者で境内が賑わいます。

 

  正面「鳥居」です。

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  鳥居をくぐると話題の「懸想文売り」が水干、烏帽子姿で顔を隠して登場します。懸想文は、ご存知のように恋文のことで、古くは文字が読めない、書けない人のために、代筆をしたのが始まりで、誰であるか判らないように顔を隠していました、この懸想文を箪笥の奥に仕舞っておくと、良縁が授かると多くの人がお守りを求めていました。

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  説明を聞きながら求めています。

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  境内に入ると「二の鳥居」があります。

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  「二の鳥居」をくぐると、正面に「本殿」があり、須賀神社と交通神社が並んでお祀りしてあります。

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  左側に「白龍大明神」がお祀りされています。

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  「本殿」の扉が開かれて、「豆まき祭」が執り行われます。

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  宮司さんが祝詞を奏上し神事が始まりました。

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   神事の列席者もお祓いを受けます。

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   神前に集まった多くの参詣者もお祓いを受けます。

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  居合や空手道などの試技の奉納の後、「豆まき」が始まり、福豆をいただきました。

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  普段は静かな境内も、節分や、例祭の時期は多くの人で賑やかで華やかです。

 

 

 吉田神社は貞観元年(859年)中納言藤原山蔭卿が平安京の守護神として、吉田山に創建されました。ご祭神は厄除開運の神、「建御賀豆知命」「伊波比主命」学問の神「天之子八根命」良縁、夫婦和合の神「比売神」です。

 吉田神社の節分祭として全国的にも有名な節分祭は、室町時代に始まり、信仰と伝統を受け継いで京都の一大行事として、2月2日から4日まで3日間とり行われ、全国各地から例年約50万人という多くのお参りがあります。混雑を避けて前日祭にお参りしました。

 

 参道入口の大鳥居をくぐると、左右に露店が立ち並び、多くの人で賑わっています。人間の煩悩を現す鬼さんが雄叫びを上げ練り歩いています。

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  正面参道境内の「二の鳥居」をまでやってきました。

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  これから参道は吉田山へ石段を上っていきます。

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  「三の鳥居」をくぐり境内に入っていきます。

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  境内には参拝者のための多くの仮設テントも建ち、おみくじを始め、福豆を受けられる方もおられます。

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  「福娘さん」も勢ぞろいです。

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  「社務所」です。

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  「本宮」です。ご祭神をお祀りした神殿が並んでいます。

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  境内に鬼さんが集まってきました。

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  3匹の鬼が勢ぞろいです。

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  境内の一画に置かれている、国歌君が代に詠まれているという、「さざれ石」です、

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境内から石段を上がると摂社の「若宮社」があります。水徳の神様をお祀りしています。このほか境内には、多くの摂社、末社があります。

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  本宮の南側に鎮座します「薬祖神社」への参道です。

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  果物の祖といわれる橘を日本持帰ったとされる「田道間守命」と、日本で初めて饅頭をつくったとされる「林浄因命」の二神を「菓子の祖神」としてお祀りする社です。

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  「斎場所 大元宮」への参道です。露店が連なる本宮から、山路を進んでいきます。

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  ここでも鬼さんに出あいます。

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  「大元宮」の「鳥居」をくぐっていきす。

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  「中門」です。普段はこの門は閉じられていますが、節分祭には開かれ本殿などにお参りする事ができます。

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  吉田神道の教義により宇宙軸を現す「大元宮」は始まりの神(虚無大元尊神)を中心に、そこから生まれくる全国八百万の神々をお祀りしています。節分祭には、大元宮を中心に特殊神事が行われます。「八角形の本殿」という特異な形の本殿で重要文化財に指定されています。

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  上りと下りに分かれた参道を降りて帰途につきます。

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「金閣寺」の雪景色

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 この冬の京都市内は、例年になく雪が降る日が多く、1月31日夜から2月1日にかけても積雪を見ました。この機会にと、雪景色の金閣寺を見に出掛けてきました。

 金閣寺の正式名称は鹿苑寺といい。臨済宗相国寺派の塔頭寺院の一つです。舎利殿「金閣」が特に有名なため、一般的に金閣寺と呼ばれています。元は、鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を、室町幕府三代将軍足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされています。義満の死後、遺言によりお寺となり、夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名づけられました。

 

  参道入口の「黒門」です。

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  入口を通り参道を「総門」に向かいます。

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  「総門入口」です。

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  「総門」です。

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  「鐘楼」です。鐘は西園寺家に由来し、鎌倉期に作られたと伝えられています。

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  「庫裏」です。禅宗特有の様式の建物で、明応・文亀年間(1492〜1504)の建物です。

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  「唐門」です。

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  「檪樫」(いちいがし)の巨木です。京都市指定天然記念物に指定されています。

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  舎利殿(金閣)への土塀の続く参道です。

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 参道を抜けると、眼前に「鏡湖池」(きょうこち)が広がり、奥に「金閣」が姿を見せています。境内約4万余坪の内、2万8千坪が鹿苑寺庭園として、特別史跡及び特別名勝指定地となっています。鏡湖池は約2千坪あり、正面に見える葦原島など、大小の島々、などの奇岩名石が配置され、池泉回遊式庭園となっています。

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 「金閣」は二層と三層は漆の上から金箔が張ってあり、屋根はさわらの薄い板を重ね張りした杮葺きで葺かれています。一層は寝殿造で法水院(ほっすいん)、二層は武家造で潮音洞(ちょうおんどう)と呼ばれ、三層は中国風の禅宗仏殿造で究竟頂(くっきょうちょう)と呼ばれています。三つの様式を見事に調和させた室町時代の代表的な建物です。

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  「鏡湖池」の周りを巡りながら、「金閣」を近くから眺めることができます。

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  屋根の上には、中国ではめでたい鳥といわれる「鳳凰」(ほうおう)が輝いています。

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  「鏡湖池」を金閣側から眺めたものです。

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  「方丈」です。

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  「陸舟の松」(りくしゅう)です。足利義満公遺愛の盆栽を移し、帆掛け船の形に仕立てたとされる五葉の松です。樹齢約600年といわれています。

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  「銀河泉」(ぎんがせん)です。義満がお茶の水に使ったと伝えられています。今も清冽な清水が湧き出しています。

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  「巌下水」(がんかすい)です。義満公が手洗いに用いたといわれています。

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  「金閣」の後ろは小高くなっており、山路を順次辿って行くようになっています。

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  「金閣寺垣」です。真中の小さな石橋を「虎渓橋」(こけいきょう)といい、その両側の低い竹垣を「金閣寺垣」といい、小竹垣の代表とされています。

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  「安民沢」(あんみんたく)です。周りが樹林に囲まれたほの暗い池があります、雨乞の場ともされ、中央の小島に白蛇塚という五輪の石塔があり、西園寺家の鎮守とされています。

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   山路を辿り一番小高いところに「夕佳亭」があり、その前から「金閣」が眺められ、夕日に映える「金閣」がことのほか美しいと言われています。

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  「夕佳亭」(せっかてい)です。江戸時代、金閣を復興した鳳林丞章が、金森宗和に造らせたお茶室です。

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  「三帖のお茶室」で、南天の床柱と萩の違い棚で有名です。

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  「夕佳亭」から程なく庭園出口となり、参道へと戻っていきます。

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   (各コメントは、鹿苑寺のホームページより引用させていただきました。)

 

 

 

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