「須賀神社」は平安時代末の康治元年(1142年)美福門院の建てた歓喜光院の鎮守として創祀されたもので、祭神は素戔嗚尊、櫛稲田比売命、が主神です。もとの社寺は、今の平安神宮の境内に創建されました。その後、幾多の変遷を経て、明治の廃仏毀釈の時に須賀神社となり、大正13年(1924年)現在の地に移りました、その後、昭和に交通神社を分祀しました。須賀神社の節分祭といえば、「懸想文売り」が登場するのが珍しく、多くの参詣者で境内が賑わいます。
正面「鳥居」です。
鳥居をくぐると話題の「懸想文売り」が水干、烏帽子姿で顔を隠して登場します。懸想文は、ご存知のように恋文のことで、古くは文字が読めない、書けない人のために、代筆をしたのが始まりで、誰であるか判らないように顔を隠していました、この懸想文を箪笥の奥に仕舞っておくと、良縁が授かると多くの人がお守りを求めていました。
説明を聞きながら求めています。
境内に入ると「二の鳥居」があります。
「二の鳥居」をくぐると、正面に「本殿」があり、須賀神社と交通神社が並んでお祀りしてあります。
左側に「白龍大明神」がお祀りされています。
「本殿」の扉が開かれて、「豆まき祭」が執り行われます。
宮司さんが祝詞を奏上し神事が始まりました。
神事の列席者もお祓いを受けます。
神前に集まった多くの参詣者もお祓いを受けます。
居合や空手道などの試技の奉納の後、「豆まき」が始まり、福豆をいただきました。
普段は静かな境内も、節分や、例祭の時期は多くの人で賑やかで華やかです。
コメントする