五台山清涼寺は、通称、嵯峨釈迦堂と呼ばれて、地元はもちろん多くの人々に親しまれているお寺です。
光源氏のモデルと言われる源融の別荘のあった所で、開基は齎然で寛和3年(987年)の創建と言われています。
このお寺が特に親しまれるのは、例年3月15日に行われる、釈尊涅槃会お松明式だと思います。
この宗教行事には、お松明嵯峨大念仏狂言が狂言堂で奉納され、多くの人が上演を楽しみにしておられます。
これは鎌倉時代末期、円覚上人が庶民に教義を説く為に作った狂言といわれ、国指定重要文化財に指定されています。
京都には、三大狂言と言われる、壬生狂言、千本閻魔堂狂言、そして嵯峨狂言がありますが、壬生狂言と、この嵯峨狂言が仮面をつけた無言劇となっています。
カンデンデン、カンデンデンとのどかなお囃子が聞こえ、ゆっくりとした、おどけたようなユーモラスな演者の動きは、今の世に忘れている大切な時の動きを、改めて認識させられているように思います。
当日は参道や境内に、所狭しといろいろの屋台が連なり、賑やかな一日となります。
「仁王門」です。
仁王門から本堂に向かう参道です。
当日、夜に点火されるお松明がすでに準備されています。
本堂です。
境内には梅も満開を迎えています。
本堂にお参りして、狂言堂に向かいます。
最初の演目「大仏供養」を鑑賞させていただきました。
お松明、嵯峨大仏狂言 公演
演目「大仏供養」
登場人物 景清 母親 頼朝 重忠(畠山)従者二人
「解説」
景清は母親に主君の仇討ちを懇願し了承を得る。
頼朝は重忠と従者二人と酒宴を開いていると景清が坊主姿で頼朝に襲いかかる。しかし重忠に阻まれ逃げ帰る。
重忠と従者二人は再度の襲撃に備えているところへ、景清は頼朝を倒そうと進入するが、重忠らに取り押さえられ、捕らわれの身となる。
(以上ののコメントは、嵯峨大念仏狂言保存会の冊子より転載しました。)
境内西北の、鐘楼の横にある狂言堂です。
早くから多くの人が詰めかけています。
公演に先立ち嵯峨狂言の由来と、身振りや仕草の説明がありました。
公演告知の「まねきかんばん」です。
太鼓と鉦の鳴り物の中、まず母親が登場します。
続いて景清が登場します。
景清が母親に仇討ちの気持ちを打ち明けます。
景清と母親が別れの盃を酌み交わしています。
母親が苦しい胸の内を秘めながら、退場します。
替わって頼朝が登場します。
そこに重忠と従者が登場して舞台は賑やかになります。
頼朝と重忠とが話し合っています。
従者も頼朝を守る決意を伝えています。
景清と従者が相対しています。この場は景清は撃退され退散します。
重忠と従者は再度の景清の襲撃に備えています。
景清が再度、襲撃してきます。
景清と重忠の戦いです。
景清、遂に捕らわれの身となります。
これにて一件落着です。
約1時間余の無言劇でしたが、楽しく拝見しました。
伝統芸能を継承していくことは、後継者や金銭面など多くの問題を抱えて大変なことだと思います。
お寺や保存会の皆さんの熱意と努力によって、いつまでも守られて行くことを願わずにはいられません。
感謝と拍手。
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