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 「鳥羽の藤」として市民の間で親しまれている、「鳥羽水環境保全センター」の藤の花。それは南区にある汚水処理場の敷地内に大切に育てられ、毎年4月下旬に汚水処理場の施設と共に公開されています。花見と施設見学を兼ねて訪れました。

 

  見学者が入門する、「東2号門」です。間もなく開門の時間です。

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  この「鳥羽水環境センター」は広大な敷地(460,460㎡)を持ち、西日本一の処理能力を誇っています。

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  門を入ってすぐ左に進むと、お目当ての藤棚が120メートルと広がり、回廊となっています。

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  見事な藤の花の満開です。

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   地に這うばかりの姿を見せています。

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  藤棚の回廊です。ベンチも置かれて一休みが出来るようになっています。

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  藤の花を愛でた後は、施設への見学と向かいました。施設の説明パンフレットです。

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  見学者コースの順番に従い、それぞれの箇所に説明もついております。左は「ポンプ場」、右は最初の汚水が流入する「スクリーン・沈砂池」

   です。

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  施設見学❶ 「スクリーン・沈砂池」です。市内の下水道から集められた汚水が最初に流入する場所で、大きなゴミや砂を取除きます。

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  施設見学❷ 「ポンプ場」です。「スクリーン・沈砂池」の汚水を処理しやすいようにポンプで汲み上げて「最初沈殿池」へ送ります。

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  地下1階の「ポンプ場操作室」です。電気式のポンプと、不測の事態に備えて予備のディーゼル式のポンプも備えて万全を期しています。

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   最下部の「スクリーン・沈砂池」の汚水を導入する大口径の導入管が奥まで何本も敷設されています。

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   地下2階のポンプで汲み上げた汚水を「最初沈殿池」に送り込んでいます。

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  広い「最初沈殿池」付近です。  

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  施設見学❸「最初沈殿池」です。ポンプで汲み上げた汚水を、時間をかけてゆっくり流し、「沈砂池」で沈まなかった小さなゴミや泥を沈殿させます、沈んだ砂や泥は「かき寄せ機」で集め、ポンプで処理する施設へ送ります。汚水の滞留時間は2.5〜3.0時間、池の深さ約3.5m(2階層)になっています。

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   施設見学❹「反応タンク」です。沈殿池からの送られた汚水を、微生物を含んだ「活性汚泥」を加え、空気を吹き込んでよく混ぜ合わせると、汚水に溶け込んでいるものや、最初沈殿池で沈まなかった小さなゴミが沈みやすくなり、汚れを分解します。汚水の滞留時間は5.0〜7.0時間です、タンクの深さ約10mです。

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   「反応タンク」付近です。

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   施設見学❺「最終沈殿池」です。反応タンクから送られた汚水は、この場所で最終きれいになった水と、底に沈んだ泥とに分かれ、きれいな水は放流し、底に沈んだ泥(活性汚泥)は反応タンクに送り返されます。汚水の滞留時間2.5〜3.0時間 深さ約3.5m(2階層)になっています。

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   「最終沈殿池」付近です。

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    広大な施設を見渡したところです。

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   施設の東北の一画に「焼却施設」が見えます。脱水した汚泥などを焼却して灰とし、一部はセメント原料などに再利用されます。

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    「焼却施設」です。

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   きれいになった水は消毒して「放水路」から河川に放流されます。

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  イベントとして「京都市消防音楽隊」のパレードが始まりました。

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   開門から20分も過ぎると、臨時バスなどを利用して多くの見学者が列を為して詰めかけ、藤棚付近はごった返していました。

 

 初めて汚水処理場を見学して感じたことは、日頃当たり前のように汚水を流して、その先のことは無頓着だったことが恥じられます。最新の設備と、従事する多くの人々の努力のおかげで、日々のの我々の生活が成立っていることを強く感じました。

 

 

 

 

 

 

 京都市内の「PARASOPHIA」の他の展示場へと、ガイドブックを携帯して、てくてくと歩いてきました。

 

  「PARASOPHIA」の100ページ近い無料のガイドブックです。

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   ❶ まず最初は、烏丸通三条の「大垣書店」のショーウィンドーです。「リサ・アン・アワーバック」1967年 アメリカ・ミシガン州生まれ、ロサンゼルスを拠点に活動しています。

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  「この織機を持って失せろ」2009年の作品を展示しています。産業革命で機械化が進む18世紀のイギリスで、手仕事の機会を失う事を恐れた労働者が起こした織機破壊運動と、富の再配分を行ったロビン・フッドの物語を融合して生まれた作品とのことです。

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   「京都芸術センター」(元明倫小学校)中京区室町蛸薬師 正面玄関です。

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  「アーノウト・ミック」1962年 オランダ・フローニング生まれ、アムステルダムを拠点に活動しています。元小学校の講堂に展示されています。無音のマルチチャンネルビデオを、連続した壁面に投影しています。ブラジルでの宗教儀式を撮影したドキュメンタリー映像と、300人の俳優を使っての映像を組合せて呈示しています。無音でありながら映像を追いながら、異様な熱気と高揚感が自分の中に音を生み出していくように感じられます。

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    「BAL建築現場」中京区河原町六角 建築現場の仮囲い壁面です。「ルイーズ・ローラ」 1947年アメリカニューヨーク州生まれ、ニューヨークを拠点に活動しています。京都市美術館に展示されている、同じ手法のトレース作品です。いつも人々の雑踏する繁華街ですが、しばらく見ていても関心を寄せる人はなく、ただ通り過ぎていくのみです。   

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   「堀川団地(上長者町棟)」上京区西堀川上長者町 堀川団地、上長者町棟の展示室です。老朽化して解体予定の団地で、1階の商店部分は営業しているところもありますが、居住者はありません。再訪してようやく探し当てた展示場です。3ヶ所の展示室がありますがその内の一つを紹介します。

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  「ビビロッティ・リスト」1962年 スイス・グラーブス生まれ、チューリヒを拠点に活動しています。団地の3階の2室を使用して、二つのプロジェクションを見せてくれます。一つは和室の天井いっぱいに映像が写し出され、鑑賞者は寝ころんで天井を見上げたり、あるいは壁にもたれたりしながら豊かな色彩の美しい映像を見入ります。それはまるで母親の胎内にいるということはこのようなことかも知れないと、思はせるような暖かく包み込まれるような、穏やか気持ちにさせてくれます。

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   もう一つの和室には布団が敷かれていて、その上布団に女性が宇宙の空間を舞い踊るような映像が投影され、ファンタジックな世界を垣間見る気分でした。

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    「河原町塩小路周辺」下京区京都芸術大学移転予定地 「フランツ・ヘフナー 1970年 ドイツ生まれ。 ハリー・ザックス」1974年ドイツ生まれ。両氏ともベルリンを拠点に活動しています。京都市美術館にも同作家の展示があります。この展示場も目印もなく、再訪してやっと探し当てました。

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  元の祟仁小学校などの、使用されない用具などを寄せ集めて制作されたオブジェです。どのような意図なのか理解できませんが、今、巷で問題になっている、いわゆるゴミ屋敷も、付近の人々にとっては、非常に不快で、火災の心配や、衛生上も悪く、はた迷惑な問題でも、屋敷の住人にとっては、その一つ一つがそれまでの生きた証しであり、生き様でもあるのかなと、このオブジェを見てふっとそんなことを感じました。

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   ❻「京都文化博物館 別館」(元 日本銀行)国重要文化財で明治39年(1906)に竣工しました。 中京区三条高倉 正面玄関です。

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  旧の日本銀行の建物らしく堅牢なカウンター(仕切り壁)と、豪華な意匠が目を惹きます。また、元の営業室がホールとして、いろいろな催しが行われています。

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  天井のの凝った意匠と造作も一つの芸術作品の趣があります。

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  階段の手摺にも風格があります。

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  「森村泰昌」 1951年 大阪生まれ、大阪を拠点に活動しています。美術史上の名画や人物などをモチーフにした、写真作品を一貫して制作しています。今回の展示では、ベラスケスの「ラス・メニーナ」を題材にして展開しています。

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  今回の「PARASOPHIA」では珍しく写真撮影が一部を除いて自由となり、その芸術作品の一端を紹介する事ができました。

 

 

 

 

 

京の「六地蔵めぐり」

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 京の六地蔵巡りは、毎年8月22日、23日の両日に、京への出入口となる、古い街道筋六ヶ所にあるお地蔵さんを巡拝して、厄除祈願、家内安全、無病息災をお願いする古くからの伝統行事で、多くの人々で賑わいます。
 駒形高札によると、六体のお地蔵さんは、平安時代の初期、小野篁が一度息絶えて冥土へ行き、生身の地蔵菩薩に出会って蘇った後、一本の大木から作った六体の地蔵菩薩を、伏見の六地蔵、大善寺に祀られましたが、保元2年、平清盛により、京への主要街道に地蔵堂を建立し(奈良街道、大善寺)(西国街道、浄禅寺)(山陰街道、地蔵寺))(周山街道、源光寺))(鞍馬口街道、上善寺)(東海道、徳林庵)それぞれに一体づつお祀りしたことから、六地蔵めぐりが始まったとされています。
 また、この時期、京都市内の各町内では、お地蔵さんをお祀りして、「地蔵盆」が行われて、子供達の無病息災と家内安全をお祈りします。
 8月22日に先立って六地蔵巡りをしてきました。


  大善寺  伏見区桃山町西町24
 伏見地蔵とも呼ばれています。六地蔵めぐり第一番札所です。
 大善寺は浄土宗の寺院で、六地蔵の名で親しまれています。
 慶雲2年(705年)に藤原鎌足の子、定慧によって創建されたと伝えられています。
 小野篁の六体の地蔵が、最初に祀られていたので六地蔵の名前がつきました。


 宇治を経て、奈良街道に向かう道筋にある山門脇の由緒書きの銘板などです。
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 「地蔵堂」への山門です。
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 「観音堂」です。
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 「本堂」です。阿弥陀如来像が安置されています。
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 「地蔵堂」です。地蔵菩薩がお祀りされています。
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 徳川二代将軍秀忠の娘、東福門院が、安産祈願成就の礼として寄進した「鐘楼」です。
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 「臥龍の松」の碑です。
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 浄禅寺 南区上鳥羽岩丿本町93
 京洛六地蔵巡り第二番札所で、旧の西国街道沿いに建っています。
 山号は恵光山で、浄土宗西山禅林寺派のお寺です。
 寿永元年(1182年)文覚上人の開基で、本堂には、本尊阿弥陀如来像が安置され、観音堂には十一面観音立像が祀られています。
 また地蔵堂に、地蔵菩薩が祀られて鳥羽地蔵と親しまれています。
 袈裟御前の首塚(恋塚)といわれる五輪石塔があることから恋塚浄禅寺ともいわれます。


 「山門」です。
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 地蔵堂への入口です。
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 「地蔵堂」です。六体地蔵菩薩の内の一体が祀られています。
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 「観音堂」です。十一面観音立像が祀られています。
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 「本堂」です。阿弥陀如来立像が安置されています。
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 「恋塚浄禅寺」の駒形高札と石碑です。
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 地蔵寺(桂地蔵寺) 西京区桂春日町9
 地蔵寺は浄土宗のお寺で、京洛六地蔵巡り第三番札所です。
 ご本尊は地蔵菩薩です。この地蔵菩薩は一本の木で六体彫られた内の最下部をもって刻まれたもので、姉井菩薩と呼ばれています。


 「山門」横の駒形高札と石碑です。
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 「山門」です。
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 「本堂」です。
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 「水子供養塔」です。
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 「六体地蔵菩薩」が祀られています。
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 源光寺(常磐地蔵) 右京区常磐馬塚町1
 平安時代の末期に、常磐御前により創建されたと伝えられています。
 地蔵堂に納めれている地蔵菩薩像は、常磐谷(ときわだに)地蔵と呼ばれ、上善寺の姉子地蔵に対して、乙子(おとご)地蔵とも呼ばれています。


 「山門」です。
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 「地蔵堂」です。
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 「観世音菩薩像」です。
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 上善寺 北区鞍馬口通寺町東入る上善寺門前町
 上善寺は浄土宗のお寺で、山号は千松山遍照院です。
 僧円仁により天台密教の道場として、千本今出川に創建されましたが、その後の変遷を経て、文禄三年(1594年)現在の地に寺域を移して、浄土宗に改められました。
 地蔵堂に安置されています地蔵菩薩は、鞍馬口地蔵、深泥池地蔵、姉子の地蔵などの愛称で親しまれています。京洛地蔵巡り第五番札所です。


 鞍馬口通りに面した「山門」です。
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 「本堂で」す。ご本尊は阿弥陀仏坐像で、行基作と伝えられています。
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 「地蔵堂」です。安置されている地蔵菩薩は、洛北の深泥池ほとりより移されたものです。
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 一隅にたくさんのお地蔵さんが集められて、お祀りされています。
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 徳林庵 山科区四ノ宮泉水町16
 室町時代、天文年間(1550年)頃に雲英禅師によって創建されました。山号を柳谷山と言います。
 ご本尊は、地蔵菩薩です。通称を山科地蔵とか、四ノ宮地蔵とかいわれています。
 京洛地蔵巡り第六番札所で、旧の東海道沿いにあります。
 また、琵琶法師の祖、蝉丸ゆかりのお寺です。


 伏見六地蔵の石碑が据えられています。
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 「地蔵堂」への玄関屋形と左に井戸があります。
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 地蔵堂の前の手の込んだ屋形です。
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 「地蔵堂」です。
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 東海道の街道を往き来する人々の賑わいを、彷彿とさせる井戸の石組です。
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 可愛い童子のお地蔵さんです。
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 人康親王 蝉丸 供養塔です。
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東寺の「初弘法市」

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  京都の街中で、「教王護国寺は何処ですか」と尋ねても、多くの人はキョトンとした顔をされるかもしれません。でも、「東寺さんは何処ですか」と聞けば、すぐにだれでも教えてくれるほど身近なお寺で、昔から通称が「金閣寺」や「銀閣寺」と共に、世間一般に広く認知されているお寺です。

 「東寺」。正式名称 教王護国寺(きょうおうごごくじ)です。
 東寺真言宗の総本山で、平安京造営の際、国家鎮護のために創建され、唯一残る平安京の遺構です。
 その後、弘法大師空海に託され、密教寺院として誕生しました。

 縁日は弘法大師の命日である、3月21日の御影供の参拝者を目当てに、露店が立ち並ぶようになり「弘法さん」と親しまれて、毎月開かれるようになりました。
 特に12月の「終い弘法」、新年の「初弘法」は大勢の善男善女が詰め掛けて大賑わいをみせます。

 今年の初弘法はお天気も良く暖かい日和で、僕も出掛けてきました。
 初弘法の時の賑わいのスナップ写真です。


 
 南大門付近です。
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 「東門」です。ここから出入りする人が一番多いようです。
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 「北大門」から入って正面が食堂です。
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 どこもかしこも大混雑、人波に揉まれて、押すな押すなの大盛況です。

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 ありとあらゆる露店が軒を連ねています。ちょっと一息です。
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 食堂です、お参りする人々で近寄れません。
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 五重塔も今日ばかりは人出の熱気に圧倒されて霞んで見えるようです。
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 春を待ちかねるように、色とりどりの花がお客さんを待っています。
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 今年の新年にお参りした時の、普段の静かな東寺さんを少しご紹介します。


 九条通りの美しい土塀です。縁日の日は、露店や人波の陰に隠れて見えません。
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 南大門(なんだいもん重要文化財)です。この門が正門になっています。
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 この南大門から北に向かってまっすぐ一直線に、金堂(こんどう) 講堂(こうどう) 食堂(じきどう) と大伽藍が並んでいます。
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 南大門を入って正面に金堂が建っています。
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 「修業大師像」です。 弘法大師の修業時代の像です。南大門のすぐそばにあります。常にお花が供えられて信心の深さを感じます。
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 金堂(国宝)です。関ヶ原の合戦後に落慶した、桃山時代の代表的な建物です。
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 講堂(重要文化財)です。
 寺域の中心で、大日如来が安置されています。
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 食堂です。観音堂とも呼ばれています。 
 巡礼者の祈りの場となる納経所ともなっています。
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 御影堂(みえいどう)入口です。
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 御影堂(大師堂)国宝です。
 弘法大師のお住まいだった場所です。

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 毘沙門堂入口です。
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 都七福神 兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)をお祀りしています。
 御影堂のすぐそばにあります。
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 南大門を入って右を見ると境内の東南に五重塔が見えます。
 JRの電車が京都駅に近づくと最初に見えるのがこの五重の塔と京都タワーでしょう。
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 五重塔(国宝)です。高さ約55m 寛永21年(1644年)に再建された日本で一番高い五重塔です。
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 「鐘楼」です。足利尊氏寄進の鐘で毎朝、東寺の開門を告げてきた鐘ですが、傷みが激しく宝物館に保管され、新しく同じように鋳造されました。
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 東大門(不開門)です。
 建久9年(1198年)の再建です。
 足利尊氏が門を閉め、危うく難を逃れたという故事により、「あかずのもん」と呼ばれるという。
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 境内の東側一帯に庭が広がっています。
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 池畔からの五重塔です。
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