姫路城を出て、隣接する好古園(こうこえん)に寄りました、「好古園」は「姫路城西御屋敷跡庭園」として、姫路城を借景に平成4年(1992年)に開園した約1万坪の池泉式回遊庭園です。発掘調査で確認された屋敷跡、通路跡等の遺構を活かし、九つの趣の異なる庭園で構成されています。名称は、江戸時代の藩主、酒井家による文武両道の振興を図った藩校「好古堂」に因んで命名されました。
配られるパンフレットです。
広大な「西屋敷跡地」で市民の憩いの場となっています。
「屋敷跡地」と「好古園」を隔てる築地塀です。
出入口を入ると門への長い通路を進んでいきます。
庭園への「門」です。
「門」を抜けると左右に見頃の紅葉が広がっています。
「活水軒」の玄関です。
「御屋敷の庭」には長い「渡り廊下」があり、左右の眺めが美しい。
深山幽谷の趣のある「渡り廊下」からの左側、庭園です。
右側の庭には、瀬戸内海に見立てた大きな池があり紅葉に映えます。
「渡り廊下」を抜けると、中秋の名月を愛でるための「潮音斎」が建っています、「潮音斎」からは「好古園」、最大の池泉式回遊庭園「御屋敷の庭」が大きく広がります。多くの錦鯉がゆっくり泳いでいます。
各庭は「築地塀」で仕切られて順路が続いています。
「築山池泉の庭」です。紅葉が美しい典型的な日本庭園です。
「築山池泉の庭」に続いて「竹の庭」があり、四阿「聞竹亭」が中央に建っています。
築地塀で仕切られた庭園を抜け、「好古園」を後にしました。
「好古園」を出て、「市之橋」から、ぶらぶらと「千姫の小径」を進みます。「中濠」と「船場に挟まれた遊歩道です。紅葉が美しいです。
「千姫の小径」の途中にある「町人町」からの「いもせばし」です。
「清水橋」で「内濠」と「船場川」が分岐し、「清水橋」からは、姫路城も垣間見ることができます。
「清水橋」から「内濠」に沿って「清水門跡」や「シロトピア記念公園」へと城郭の北側へ連なっていきます。
「清水橋」から標識に導かれて西へ、「姫路文学館」の方へ歩を進めると「水尾神社」がありました。奥の「男山」には、「水尾神社」や「千姫天満宮、男山八幡宮」が祀られています。山頂は姫路城が俯瞰できる絶好のポイントのことですが、残念ながら割愛しました。
正面が「水尾神社」の本殿です。「船場八景」の一つ「船場秋月」が詠まれました。(冴え渡る月のかつらの男山 幾世朽ちせぬ峯の神垣)船場八景とは、江戸時代、船場の庶民が作った和歌を「酔月亭鴬雪」が選出したものです。
「姫路文学館」です。安藤忠雄氏の設計で、1991年に竣工しました、ガラス張りの建物が水に映えしっとりとした趣があります。播磨ゆかりの文人たちの資料が展示されています。
長いスロープの先にあるのが「北館」です。
「姫路文学館」のモニュメントから姫路城が遠望できます。
「景福寺」です.曹洞宗の寺院で,藩主、酒井家の菩提寺です。「船場八景」の一つ「景福寺晩鐘」が詠まれたところです。(黄昏の鐘のひびきの訪れて 花の散り積む瑞松の山)
参道を行くと立派な「山門」が建っています
「山門」の仁王像は鎌倉時代の作と伝えられています。
「本堂」です。後方の「景福寺山」には酒井家藩士の由縁のお墓が多く現存します。
「船場本徳寺」正式には姫路船場別院本徳寺と言います。東本願寺派の寺院です。蓮如上人の開基で、孫の実円が本格的な伽藍を建立しました。敷地面積は6600坪と広大なものです。山門です。
「本堂」です。風格のある伽藍として目を見張らせます。
「本堂正面」です。歴史を感じさせます。
「白鷺橋」(はくろばし)です。国道2号線の「船場川」に架かる石造りの橋で、重厚な歴史を感じる橋です。所々黒く変色しているのは、第2次世界大戦の空襲で受けたものだということです。
「白露橋」から見た「船場川」です。
白露橋を最後に大手前通を姫路駅に向かいました、大手前通には多くの彫刻が設置され、人々の目を楽しませてくれます。今回は姫路の街のほんの一部しか立寄ることができず、観光案内を見ると、姫路城だけでなく、まだまだ魅力あるポイントがあります。機会をつくり、ぜひ再訪したいと思いつつ、車中の人となりました。
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