「亀山城」(亀岡市)城下町めぐり

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 丹波亀山城は明智光秀が丹波統治の拠点として大正6年(1578年)に築城し、その後、慶長15年(1610年)岡部長盛の時代に城郭城下町が完成しました。廃藩置県後、明治11年(1878年)廃城になり、荒れ果てていましたが、大正8年(1919年)大本教が買い取り石垣などを再築し、宗教弾圧の幾多の苦難を乗越え、神殿を建設して今に至っています。地名は明治2年(1869年)三重県亀山市と紛らわしいため亀山から亀岡へと改称されました。その亀山の城下町は光秀の善政により大いに発展し、今も寺社や町家がその名残をあちこちに留めています。その城下町を毎度お世話になっているレンタサイクルを利用して廻ってきました。

 

「城下町散策地図」です。(亀岡市観光協会のパンフレットより転写しました。)


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 「JR亀岡駅」です。(2008年)に新しく建築された駅舎です。

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 「亀岡駅前」より「南郷公園」亀山城跡を望んでいます。

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 「南郷公園」です。亀山城の外堀であった「南郷池」を中心にして「南郷公園」として整備して、市民の憩いの場となっています。

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 「南郷公園」の入口です。左右に亀山城のモニュメントとして「鯱瓦」飾られています。

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 「内堀」です。亀山城は内堀・外堀・惣堀の三重の堀と御土居で仕切られていました。

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 「南郷池」東端の亀山城保津門跡です。(山陰丹府桑田亀山図による)

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 「南郷池」から「春日坂通り」に出て少し南下すると「大本教」「天恩郷」の正門があります。

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 「正面入口」を入ると広大な(総面積8万2千㎡ 2万5千坪)天恩郷の神苑が広がっています。真奈井通りです。

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         「神苑」の案内図です。

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  「東光苑広場」です。正面「みろく会館」 右の階段を上がれば「神教殿」です。

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        城跡に向かいます。

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    左手の「手水舎」を経て、「万祥橋」を渡り「万祥殿」の受付にてお祓いを受けて城址に向かいます。

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    「中門」をくぐり掃き清められた「神苑」を進んで行きます。

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    森閑とした木立の中に「丹波亀山城跡」があります。

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   「丹波亀山城跡」は現在は石垣と濠を残すのみで、5層の天守閣と3重の堀をめぐらせて威容を誇った城も石垣などが往時の姿を留めているのみです。

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   「亀岡の名木」 「大本天恩郷の大イチョウ」 光秀の手植えと伝えられ、「亀岡音頭」にも歌われた名木です。胸髙幹周3.12m樹高20mです。

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     石垣に沿って進んで行きます。石垣の上部は「神域」として立入り禁止です。

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     右に「小安石」と「大安石」が並び、石段を進むと観音様がお祀りしてあります。

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     「朝陽館」「瑞祥館」と続いています。

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    「瑞祥館」です。瑞祥館の中に入り、「月の輪台」を巡っていきます。

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     「月の輪台」から「瑞祥門」に抜けて真奈井通りに戻ってきます。

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     「みろく会館」までもどり「春日坂通り」に出ました。

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     「春日坂通り」を少し南に下がり「旅篭町」の信号を左に折れると「古世親水公園」(古世町)があります。

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   小さな公園ですが昔から豊富な湧水で、此の辺りの人々の生活を支え、また地域の親睦の場として利用されています。

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    「親水公園」のそばの「桜の馬場跡」(馬見所)(古世町)です。寛政5年(1793年)に「馬見所」と「騎射組」が置かれ、馬廻関係の藩士の居住区となっていました。(山陰丹府桑田亀山図による)

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   同じく「親水公園」の北に位置する「王地山稲荷大明神」(古世町)です。 亀山藩主の松平信岑が寛永元年(1748年)に丹波篠山の王地山から亀山城内に勧請されました。五穀豊穰、商売繁盛にご利益があると広く信仰されています。

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   「旅篭町」の「土手丁」です。 寛政5年(1793年)「三の丸南東部」で「土手町」と呼ばれた武家地にあたり、藩士の武家屋敷が連なっていました。(山陰丹府桑田亀山図による)

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   「古世親水公園」から南に下がると「称名寺」(西堅町20番地)があります。 総本山知恩院に属する 團忠上人が寛永20年(1643年)に、京都百万遍の知恩寺末寺として現在地に当時の開基となりました。その後、焼失しましたが正徳4年(1714年)本堂が再建されました。山門の薬医門は元禄11年(1698年)の建造で城下の寺院の中では最古の建物です。

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           正面が「本堂」です。

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    「鐘楼」です。延亨5年(1748年)の建造です。

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    平安時代中期の女流歌人「和泉式部の墓」五重宝筺印塔です。

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     「称名寺」近くの「ひしほの匠庵」です。(突抜町30番地) 創業、慶応年間で亀山城近くで創業した130年の歴史を持つ「難波醤油醸造所」です。

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    処々に古い町家があります。その一つ「妻入町家」といわれる町家です。
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   「称名寺」を西へ進むと、「丹山酒造」(たんざんしゅぞう)があります。(横町7番地) 創業明治39年(1906年)蔵に5ヶの井戸があり良質の豊かな水をもたらし、「寶満吉祥井戸」といわれています。

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     この辺りにも古い民家が独特の景観を提供してくれています。「平入町家」といわれる町家です。2階には京都の町家にもよく見られる虫籃窓(むしこまど)が設けられています。

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    各通りには「通り名」を冠した灯籠が設置されています。京町通りです。

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    「呉服町通り」です。この「平入町家」にも「虫籃窓」や1階には「格子窓」、「犬矢来」が設けられ、町家独特の風情を見せています。

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    「呉服町通り」です、丹波亀山城の「火の見櫓跡」(呉服町)です。 元禄9年(1696年)呉服町のこの地に建てられた。

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         塩屋町通りにある、「蛭子山」(えびすやま)(塩谷町)の「鉾蔵」です。城下町には10月に行われる亀岡祭りの鉾蔵が11基あります、その内の一基です。

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    「亀山五ヶ寺」の一つ「専念寺」(塩谷町)です。 天正4年(1576年)性誉上人が、織田信長の保護を受け開山したと伝えられます。亀山藩主松平忠昭の菩提寺です。専念寺の廻りには、正誓寺、宗福寺、誓顕寺と4つのお寺が軒を連ねています。

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      「塩屋町通り」の風景です。

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   「誓顕寺」から目と鼻の先に、「法華寺」(ほっけじ)(本町67番地)があります。寛正5年(1464年)円珠院日玉上人が開山しました。本堂には「身延山日号上人作」の「日蓮上人像」が祀られています。

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   「法華寺」に隣接して、「寿仙院」「本門寺」(本町60番地)が並んでいます。この狭い地域に多くの寺院がひしめいているのには驚かされます。

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      「亀山五ヶ寺」の一つ「寿仙院」です。光秀が帰依した春光和尚の開山とされています。天正9年(1591年)亀山城主となった小早川秀秋は、5ヶ所のお寺に米を寄進し子供の菩提を弔いました、これらのお寺を「亀山5ヶ寺」と呼ばれています。

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  「本門寺」です。(本町62番地) 「本門寺」は正和年間に日弁の弟子日寿により京都に創建されました、その後、戦乱などにより焼失し、慶長5年(1600年)桑田郡山内郷から移転し再建されました。

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   「本堂」です。「大菩薩像」安置されています。

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    「本町カフェ」(城下町観光案内所)(本町51番地) 旧の山陰街道に面した「本町通り」にあり亀岡市観光協会の案内所です。お寺の密集した丁度まん中にあり、疲れた身体を一服するのに最適です。

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    入ったところは「案内所」で各種資料やパンフレットなど、また観光案内の相談に乗ってもらえます。

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   町家の趣を残し改装してカフェとなっています。食事や飲み物などが提供され、奥では婦人の団体客が休憩していました。

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   町並みの整った「本町通り」です。

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    このような町家が処々に見られます。

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    「本町カフェ」のそばの「秋葉神社」(宮前町岡山34番地)です。

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    「亀岡の名木」「秋葉神社のイスノキ」です。胸高幹周1.55m樹高14mです。

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    「秋葉神社」にある「惣構土居」です。 亀山城の周囲には、土居と堀からなる「惣構」が巡らされていました、高さは約4mあったそうで、その遺構です。

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    「穴太口」です。「亀山城内外」は三重の堀と御土居で仕切られていたその「穴太方面」への出入口だったところです。 

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      「左あなお妙けん道」の道標です。

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    「亀山5ヶ寺」の一つ「大園寺」(西町11番地)です。天文22年(1553年)泉誉秀光が川北の地に開山しましたが、その後、光秀の時代に城下町の要衝の要となる「穴太道」のこの地に移されました。

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   「本堂」は現在改修中です。「薬師堂」です。薬師如来像(亀山薬師)珍しい鋳鉄製が祀られています。

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       「大園寺」付近の町並みです。

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      西町にある、「八幡山」(西町)の鉾蔵です。亀岡祭りの鉾蔵が11基あります、その内の一基です。

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    「地蔵院」です。安置されている「地蔵菩薩」は、「北町の地蔵さん」としてまた「安産の地藏さん」として親しまれています。

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   「愛宕神社」の道標や、常夜灯が所々に建っていて、結びつきの強さを感じさせます。

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   「銀札会所跡」(北町)です。江戸時代中期、松平信岑が藩主時代ごろより「銀納」が導入され盛んになりました、この付近は「銀札」の取引所である「銀札会所」があったところです。城下町の各所にはこのような「駒形高札」が設置されていますその数、60余りあるそうです。

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      近代的な建物の建ち並ぶ商店街にも昔ながらの商店を見ることができます。

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    「田中源太郎翁旧邸」(楽々荘)です。(北町44) 山陰本線の生みの親と言われる実業家田中源太郎翁の生家です。

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  「形原神社」(横町)です。また「亀山城大手門跡」です。城内へはお堀と御土居で仕切られ各方面に五つの「城門」が配置されていました、南方面の入口で「正面大手」の「大手門」のあったところです。

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  「亀山城」の西門です。

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    「御作事跡」(内丸町)です。寛政5年(1793年)の「山陰丹府桑田亀山図」によると、「三の丸西端御作事」と記され、藩の造営修理を担当していたところです。

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   「南郷地蔵」(南郷町)です。「山陰丹府桑田亀山図」によると、寛政5年(1793年)亀山城外堀に面して「南郷」という地名と共に「十一体の地蔵さん」が椋の木の大木に守られるように祀られてきたと伝えています。祠の後の大木は「南郷池畔のエノキ」として「亀岡の名木」となっています。胸高幹周4.6m樹高23mもあります。

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    ぐるっと城下町を一周して「南郷池」の正面まで帰ってきました。

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     「南郷公園」入口正面の在りし日の「亀山城天守閣」の図のモニュメントです。

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 京都市域に隣接する亀岡市、初めてゆっくりと巡ってみて、丹波亀山城の城下町保存に、亀岡市も非常に努力していられる事を感じました。一人でも多くの人に、「明智光秀」の波乱万丈に生き、丹波の地に善政を施した「明智光秀」を知ってもらいたいと市を挙げて、NHK大河ドラマの主人公にとの署名運動を通じて働きかけをされています。近い内にそのようなドラマが見られることを楽しみにしています。

 

 

 

 

 

 

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このページは、Kが2016年6月24日 07:45に書いたブログ記事です。

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