江戸時代の五街道の一つの中山道。江戸日本橋から、上野、信濃、木曾、美濃、近江を経て京都の三条大橋まで、135里32丁(約534km)で69宿あり、草津宿で東海道と合流します。滋賀県の中山道宿は、草津宿まで9宿あり、この鳥居本宿は江戸より63宿 117里34町(約468km)京へ17里24町(約70km)の場所にあります。
今回、中山道、「鳥居本宿」を訪ねてきました。
パンフレットです。
「鳥居本宿」へは、JR彦根駅から近江鉄道に乗換えて、鳥居本駅で下車します。彦根からの近江鉄道車両です。
無人駅の「鳥居本駅」です。
国道8号線沿いの鳥居本駅の「旧駅舎」です。大正時代に建てられたという駅舎が、その郷愁を感じさせながらも、現在は無人駅舎で淋しげに残されています。
国道8号線と並行する感じで中山道は伸びています。
鳥居本駅から鳥居本宿に入ると「脇本陣跡」の碑が立っています。
鳥居本宿の南はずれ、中山道と彦根道(朝鮮人街道)の「分かれ道」です。朝鮮人街道とは、「朝鮮通信使」が通った道で、中山道から彦根の城下町への脇街道でした。
角に「道標」が残っています。「右、彦根道、左 中山道 京 いせ」と読めます。文政10年(1827年)に建てられました。
「専宗寺」です。山号は胴泉山、浄土真宗本願寺派のお寺で、ご本尊は阿弥陀如来です。佐和山城下にありましたが、寛永17年(1640年)に現在地に移ってきました。聖徳太子開祖と伝わっています。
「本堂」です。
「太子堂」です。
「鐘楼」です。
「鳥居本宿」は本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠35軒を数える宿場で、今もその街道筋には、江戸時代の面影を伝える建物が軒を連ねて、当時の賑わいを彷彿とさせてくれます。
道中をお守りする、「長池地蔵」です。
「木楽亭」です。
文化庁の「登録有形文化財」のプレートが示されています。
漆喰塗の虫籠窓を備えた立派な建物が、道の両側に並んでいます。
十字路に立つ「常夜灯」です。凝った常夜灯に歴史の重みを感じます。
享保5年(1720年)馬場弥五郎が創業したことに始まる「鳥居本合羽」は、雨の多い木曽路に向かう多くの旅人が買求め、文化・文政年間には15軒の合羽所がありました。
合羽所「松屋」さんです。「松屋松本宇之輔店」は昔そのままに、屋根の上に看板を掲げて現在に至っています。
合羽所、天保3年1832年創業の「木綿屋」です。
「赤玉神教丸有川家」です。鳥居本宿で合羽と共にその名を知られる、「赤玉神教丸」。万治元年(1658年)創業の赤玉神教丸本舗は、今も昔ながらの製法を伝えています。この建物は、宝暦年間(1751年〜1764年)に建設されました。
隣接するこの建物は、明治11年(1878年)明治天皇北陸巡行の際に増築され、休憩所となりました。
これより中山道は「擂鉢峠」へと向かいます。
有川家の近くの「上品寺」(じょうぼんじ)です。明暦2年(1656年)浄土真宗に改宗した上品寺は、元は天台宗のお寺で鐘楼に吊られている鐘は、7代了海(法海坊)が江戸市中を托鉢して作ったもので、周囲には吉原の遊女花里・花扇など、寄進者の名前が刻まれています。
「法海坊旧跡」の石碑が建っています。
これがその「鐘楼の鐘」です。
歴史的な遺産は、一度失うと二度と戻らないものです。個人の力では守り切れない、このような文化財と言うべきものを、公的な協力で次世代に是非受け継いでいきたいものです。
コメントする