粟田神社の「夜渡神事」

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 京都への街道の出入口、七口の一つ、東山の華頂山の山裾「粟田口」に鎮座する「粟田神社」。
 その、粟田神社の御祭神はスサノオノミコト・オオナムチノミコトで、街道の入口にあるところから旅立ち守護、旅行安全の神として人々に畏敬されています。
 
 その、粟田神社の例祭で、一千年の歴史を持つと言われる粟田祭が、本年(2013年)は10月12日から15日まで執り行われました。
 12日の神賑行事に始まり、13日夜渡神事、14日神幸祭、15日例大祭と4日間に亘ります。
 その、13日に執り行われた夜渡り神事、「れいけん(霊験)」に出かけました。

 夜渡り神事は 「約400年前の旧暦9月14日の夜、大きな石の上に瓜が覆っており、そこに御金札(金のおふだ)があって光り輝いていた。その金札には感神院新宮(粟田神社の旧社名)と銘があったという。金札の現れた石は「瓜生石」と名付けられたという。」というような故事から、毎年夜渡り神事と呼ばれる「れいけん」が行われています。
 瓜生石は知恩院の黒門の門前にあり、その瓜生石の周りを三度回って行われます。その後、行列は大燈呂と共に氏子町内を練り歩きます。
 
 粟田大燈呂は、青森県のねぶたのルーツとも言われ。長い間途絶えていましたが、平成20年に復興しました。
 大燈呂とは大きな灯籠の山車のことで、高さは約3mもあり、京都造形芸術大学の皆さんの手によって毎年制作され、今年は9基が行列に華を添えました。

 粟田祭りのパンフレットです
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 昼間の粟田神社です。
 国道1号線、三条通りに面した一の鳥居です。参道が続きます。
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 二の鳥居です。参道が道路により寸断されていますが、往時の寺域の広さを感じさせます。
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 二の鳥居からの参道です。
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 参道脇の神馬の像です。銅製です。
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 境内の能舞台です。
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 能舞台の鏡板です。神山雪佳さんによる松が描かれています。
 風雨に晒されて劣化していくのではと心配です。
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 拝殿です。
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 御本殿です。
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 「夜渡神事」当夜の二の鳥居からの参道です。行灯に照らされています。
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 拝殿には提灯やお供物に囲まれて、御神輿が鎮座していました。
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 十二灯も夜空に浮かびます。
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 「れいけん」の神事が執り行われています。瓜生石の周りを行列が三度まわっていきます。
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 松明に照らされ、僧侶、神官などを先頭に厳かに粛々と進みます。
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 十二灯も若衆に担がれて、太鼓と共に進み、夜の神事に相応しい光景です。
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 粟田大燈呂も神事に参列しています。
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 粟田大燈呂が華やかに神事を盛り上げています。
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 「れいけん」が終わり、知恩院の僧侶たちが黒門に向かいます。れいけんは神仏習合の神事です。
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 いよいよ、れいけんの神事が終わり、行列が松明を先頭に、太鼓や鉦を叩いて巡行を知らせていきます。
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 粟田大燈呂もいよいよ出番です。
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 粟田大燈呂 粟田神社の祭神の一人「クシナダヒメ」です。
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 粟田大燈呂 出世恵美須です。
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 粟田大燈呂 山越の弥陀です。
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 粟田大燈呂 烏天狗です。
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 粟田大燈呂 合槌稲荷です。
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 粟田大燈呂 八岐大蛇です。
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 粟田大燈呂 一つ目小僧です。
 青蓮院の前。道路に張出した小枝を巡行の妨げにならないよう竹竿で除けています。
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 粟田大燈呂 「牛頭天王」に続いて「出世恵美須(恵比寿)」「山越の弥陀」と続きます。
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 巡行には、京都造形大学の学生さんたちが声をからして、誘導しながら参加しています。大変な労力に頭が下ります。
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 粟田大燈呂 合槌稲荷です。
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 9基もの大燈呂の行列は迫力もあり、からくりも見られる、素晴らしい出来栄えででした。
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 行列も氏子町内を巡りながら、進んでいきます。
 楽しい一夜でした。
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<メモ>
粟田祭りのパンフレットから転載です。
awata40.jpegのサムネイル画像






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この記事で、粟田神社の能舞台の鏡板が雪佳画であることを知り、本日見に行ってまいりました。
既にこの記事が書かれてより随分と時間が経っており、心配しながら尋ねたのですが、鏡板の画自体は、特に剥落が著しく進んだ風ではありませんでした。
ただ、能舞台は半ばものおきとなり、周囲も(境内で工事が行われているせいもあり)かなり荒れたようすでした。

文化の継承の難しさ、などと簡単に言うべきものではありませんが、自分自身の力のなさを思い知らされた一日でした。

雪佳の鏡板、今見ることができよかったです。
有難うございました。

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このページは、Kが2013年10月14日 10:11に書いたブログ記事です。

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