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 引接寺(いんじょうじ)は正式寺名より通称「千本閻魔堂」でよく知られ、多くの人々の信仰を集めています。かって京都の三大風葬の地であった、化野、鳥辺野、蓮台野、その蓮台野の入口にあたり、千本鞍馬口にあります。百人一首で名高い小野篁卿(802〜853年)は、この世とあの世を行き来する神通力を持つとされ、昼は宮中に、夜は閻魔大王に仕えたとのいわれから、「精霊迎えの法」を授かり、その根本道場として篁卿自ら閻魔法王の姿を刻み、建立した祠が閻魔堂の開基といわれています。京都では、お盆に水塔婆を流し「迎え鐘」をついてその音にのって「おしょらいさん」とご先祖の精霊をお家に迎えします。その盂蘭盆行事に8月14日夜に六斎念仏が奉納されます。

 

   「千本通り」に面した入口です。

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   本堂「ゑんま堂」です。

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  本尊「閻魔法王」です。怖いお顔から恐れられていますが、実は人間界を司る、私達を三悪道にに行かせないための身近な仏様です。長享2年(1488年)仏師定勢により刻まれました。

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  「鐘楼」です。毎年8月のお精霊迎えの行事に「迎え鐘」「送り鐘」として撞かれます。

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   「梵鐘」(文化財)です。高さ148センチ、口径82センチです。南北朝時代の康歴元年(1379年)の刻銘があります。

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  「童観音」です。子供たちの災禍、除難を念じて建立されました。

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   「紫式部供養塔」(重要文化財)高さ6m 花崗岩製です。境内の西北隅に建てられています。南北朝時代の至徳3年(1386年)円阿上人の勧進により建立されたという銘刻があります。

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   「地蔵供養池」です。卒塔婆を流すことができます。

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   「千本六斎念仏」(無形民俗文化財)は、京都の14の六斎念仏保存会の一つで、他の保存会共々、8月のお盆を中心に活動しています。奉納は14日の午後7時から始まりました。京都の六斎念仏は、平安時代、空也上人が始めた空也踊躍(ゆうやく)念仏が始まりとされ、念仏踊りが中心の念仏六斎と 、音曲演技を取り入れた芸能六斎の二つに分類されます。今夜奉納される千本六斎は、芸能六斎に属しています。

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  「発願念仏唱和」から始まりました。

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   「保存会」の小さい子供さんが、四つ太鼓を一生懸命叩いています。微笑ましい姿です。

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  「四つ太鼓」の曲打ちです。

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   「祇園囃子」です。鉦や太鼓、笛など、祇園囃子を取入れ、楽しげに太鼓を振りながら踊る様は、見物客を引き込んでいきます。

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  同じく祇園囃子の中に組込まれた「奴姿」の「雀踊り」です。sen26.JPG

 

   「太鼓踊り」「堀川猿回し」です。

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    「引き抜き手踊り」「さらし」です。

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   「獅子と蜘蛛」 まず「獅子太鼓」です。

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   「獅子」の登場です。軽妙な仕草で跳ね踊り、「獅子舞」を演じ拍手喝采です。

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   難しい三段重ねの「碁盤」の上での宙返りなど、見ていてもハラハラします。

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   地元西陣織の金襴の衣装が華やかな「蜘蛛の精」が登場してきます。

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    「獅子と蜘蛛の精」の華やかな立ち回りです。

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    最後は獅子の「攻め太鼓」です。

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   「結願念仏ご挨拶と阿弥陀打ち」で無事目出度く終了です。

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 当初、宗教色の濃い念仏踊りが、江戸時代、京の町で広まった歌舞伎、能、狂言、祭囃子、神楽など芸能を取入れて、娯楽や楽しみが少なかった時代に、町衆に広く支持されてきたことがよく理解できます。鉦、太鼓、笛の音色と素朴な踊りとが相まって、演者と観客との一体感が醸し出されてあっという間の2時間が過ぎました。伝統芸能の保存と継承という熱意と市民の協力でこの素晴らしい芸能が将来に引継がれていくことを願っています。

 

 

 

 

 5月15日、古都を彩る京都三大祭のひとつ「葵祭」の巡行が行われ、雅な平安装束に身を包んだ行列が、多くの市民や観光客を魅了しました。私も午後、新緑の加茂街道に出かけて、華麗な平安絵巻を見物しました。

 この「葵祭」は下鴨神社と上賀茂神社の例祭で、1400年前、欽明天皇が五穀豊穰を祈ったのが始まりとされ、江戸時代より行列などの飾りを、すべて葵の葉(フタバアオイ)で飾るようになって「葵祭」と呼ばれるようになりました。

 行列は、大きく分けて本列と斎王代列に分かれ、本列は勅使代を中心に、斎王代列は斎王代を中心にした女人列となっています。

「本列」

  「乗尻」(のりじり)です。行列を先導する騎馬隊です。

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  「検非違使尉」(けびいしのじょう)です。行列の警備の最高責任者です。

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  「山城使」(やましろつかい)と従者たちです。

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  「牛車」(ぎっしゃ)です。一般に御所車といわれ、天皇の使いで、行列中の最高位者の勅使(ちょくし)が乗る車で、藤の花などで軒を飾り、牛に引かせます。行列の最高の華として注目を浴びています。

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  「風流傘」(ふりゅうがさ)です。大笠の上に牡丹や杜若の花などを飾り、華やかさを演出します。

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  同じく「風流傘」(ふりゅうがさ)です。本列の最後を担います。

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「斎王代列」

  「命婦」(みょうぶ)の列です。高級女官の通称で、花笠を差し掛けられ参内します。

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   「命婦」列です。 

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  「女嬬」(にょじゅ)食事を司る女官たちです。

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  「斎王代」(さいおうだい)の行列です。   

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   「斎王」は葵祭の主役で、平安時代には内親王が選ばれて奉仕をしましたが、現在は斎王に代わるものとして、斎王代が京都市民の中から選ばれて、御祓をすませ、十二単の大礼服で、腰輿(およよ)という輿に乗って参内します。

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  「童女」(わらしべ)です。

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  騎女(むなのりおんな)斎王付きの巫女です。女官達と共に6騎が列をなしています。

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   采女(うねめ)です。朝廷での日常の用務にあたっていました。

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  蔵人所陪従(くろうどどころべいじゅう)雅楽を演奏する文官です。

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   牛車(ぎっしゃ)です。斎王の乗る牛車で、葵と桂のほか桜と橘の飾られます。

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 牛車を最後に華麗な葵祭の巡行も終わりました。この行列には、多くの奉仕者を始め、多数の牛馬などが加わり、路頭の儀として行われています。また、この巡行前後に上賀茂、下鴨両神社では古からの多くの厳かな神事や儀式が執り行われ、王朝の伝統を忠実に守られています。これらの行事を受け継いでおられる関係者の労苦も大変なことと察しますが、京の町衆の大いなる力も、その支えの一端になっていることと思います。

 

 

 

 

 

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