京都市街の東北、霊峰比叡の山麓に「赤山禅院」があります。私たちは小さい頃から「赤山神社」と呼んでいました。この赤山神社には忘れられない思い出があります。私は戦前京都御所の近くの国民学校に通っていましたが、毎年5月には、全校生徒がこの赤山神社に集合し、比叡登山が行われました。「欲しがりません勝つまでは」「鬼畜米英」「撃ちてし止まむ」と食糧も乏しい栄養失調気味の身体に鞭打ち、雲母坂から胸突き八丁と、苦しい山道を登ったことが思い出され、それは国民学校4年生の敗戦を経て終わりました。その赤山神社も、今は隠れた紅葉の名所として広く知られるようになって、多くの参拝者が訪れています。赤山禅院は、天台宗総本山延暦寺の塔頭の一つです。平安時代の仁和4年(888年)天台座主安慧によって創建されたと伝えられています。ご本尊は赤山大明神で、陰陽道の祖神で、平安京の東北にあり、表鬼門に当たることから平安京の鎮守として祀られ、方除けのお寺として、今も多くの信仰を集めています。
参道に向かう「大鳥居」です。
「大鳥居」をくぐりしばらく行くと「山門」に迎えられます。
「山門」です。
「山門」からは、左右に広がる紅葉の長い参道が社殿まで続きます。
「社殿」に続く石段を上がります
「石段」を上がった右手には「手水舎」があります。左手の大きな数珠は「環念誦」です。
石段の正面に「拝殿」があり、屋根の棟の上には鬼門除けの「神猿」が御幣とかぐら鈴を持ち、京都御所を守護しています。
棟の上には守護する「神猿」が座しています。金網に入れられているのは、かっては夜な夜な悪さをしたために、逃げ出さないようにするためだと伝えられています。
「本殿」への参道です。
「寒桜」が咲き、紅葉と相俟って美しい景観を呈しています。
「本殿」です。ご本尊は「赤山大明神」で、表鬼門の鎮守としてお祀りされています。前面の大きな数珠は「正念誦」でくぐり、帰路には手水舎横の「環念誦」とくぐり、仏さまのご加護を祈るものです。
「本殿」の周りには多くの社殿やお堂があります。
敷き詰めれた落ち葉で水面も定かでない「池」です。
「地蔵堂」です。地蔵菩薩をお祀りしています。「赤山大明神」は地蔵菩薩の化身とされているのでお祀りしています。
「雲母(きらら)不動堂」です。雲母坂にあった雲母寺の本堂と本尊・不動明王が移されたもので、像は大姉伝教大師 最澄の作と伝えられています。
「福禄寿殿」です。都七福神の一つ福禄寿をお祀りしています。
摂社の「相生社、歓喜天、金神社」への参道です。
「金神社」です。
池の辺にはお地蔵様も祀られています。
摂社への路も、お地蔵さんもお祀りされ、趣があります。
順路に従い歩く奥深い境内も、紅葉が盛りです。
「拝殿」まで戻ってきました。
立派な「寺務所」です。
「比叡山」の「千日回峰行」は7年をかける荒行で有名ですが、6年目には30キロの行程から、比叡山から雲母坂を下って「赤山大明神」に供花し、また比叡山に戻るという、「赤山苦行」が加わります、常にその苦行にお供した草鞋がその姿を留めています。
境内には「三十三観音」や「十六羅漢」さまもお祀りされています。
「狛犬」さんです、逆さになって睨みを利かせています。
お参り後の「山門」に向かう参道です。
「山門」の紅葉を目に焼き付けて帰路につきました。
コメントする