2016年5月アーカイブ

 江戸時代の重要な街道の一つであった西国街道、京都の東寺口から摂津西宮まで、向日市、長岡京市、高槻など淀川右岸を通り西宮まで、さらに中国九州の西国へと続き、近世から近代まで陸上の大動脈として、文化社会産業の発展に大いに寄与してきました。その西国街道は、向日市では古くから町の発展に貢献し、街道沿いに多くの史跡や建造物が残されています。

 

 JR向日町駅前の整備に伴い、新しく寺戸川の「深田橋」畔にモニュメントが設置されました。その内の説明板です。

mu1.JPG

 

 「深田橋」畔のモニュメントです。

mu2.jpg

 

mu3.jpg

 

  阪急東向日駅前の「築榊講常夜燈」(つきさかこうじょうやとう)のある場所ですが、現在整備中で移転し、工事が済み次第、元の位置に設置されそうです。天保13年(1842年)の建立で、西国街道を往来する人々の安全を見守っていました。

mu5.JPG

 

 「向日町道路元標」大正9年(1920年)に設置された道路元標です。町の中心部に設置され、道路の起点として市町村間の距離標示の原点となったものです。

mu6.jpg

 

  「須田家住宅」京都府有形文化財です。「向日町道路元標」のそば、街道沿いに建っています。屋号を「松葉屋」といい、醤油を製造販売をしていました。この辺りには同じような商家が数多くあります。

mu7.JPG

 

  古い町並みの名残が処々にあります。

mu8.JPG

 

  「富永屋」です。玄関横に説明板が取付けられています。

mu9.JPG

 

  「富永屋」の外観です。富永屋は江戸時代始めから戦後しばらくまで、宿屋、料理屋を営んでいました。江戸中期に建てられた貴重な町家です。

mu10.JPG

 

 「向日神社」です。平安時代の「延喜式神名帳」にも記載される格式の高い古社で、養老2年(718年)に建立されたと伝えられています。中世の向日神社は村の守り神として地域の象徴として畏敬を集めてきました。向日という地名のもとになった神社です。

 「西国街道」に面した参道の「大鳥居」です。

mu11.JPG

 

    大鳥居の左側の「説法石」です。鎌倉時代末期に「日像上人」が、京での布教活動を禁じられ、洛外追放によりこの地でこの石の上から人々に説法したと伝えられています。
mu12.JPG

 

  「大鳥居」を潜ると緑の濃い石畳の参道が長く続いています。

mu13.JPG

 

  長い石畳の参道の奥には、正面には「舞楽殿」が見えます。

mu14.JPG

 

  参道の途中、右側には「勝山稲荷神社」があります。商売繁盛の神様です。

mu15.jpg

 

     「本殿」です。

mu16.JPG

 

   「手水舎」です。18世紀後期に建てられました。

mu17-2.JPG

 

  参道正面に建つ「舞楽殿」です。

mu17.JPG

 

   「舞楽殿」です。奥に「拝殿」が見えます。

mu18.JPG 

 「拝殿」です。桁行約9m梁行約3.6m入母屋造りで屋根は向唐破風、檜皮葺きという格式ある形です。

mu19.JPG

 

   「拝殿」の奥に「本殿」があります。向日神、玉依姫命、神武天皇をお祀りしています。

mu21.JPG

 

   「天満宮社」です。天保四年(1833年)建立されました。学業成就の神様です。

mu22.JPG

 

   「春日社」です。弁財天、身代不動尊をお祀りしています。

mu23.JPG

 

   水上勉の「桜森」の舞台となったと言われている「桜の園」からの「元稲荷古墳」を経て、向日神社への参道の鳥居です。

mu24.jpg

 

   桜の参道として静かな参道です、左に元稲荷古墳(勝山公園)が広がっています。

mu25.jpg

 

   「向日神社御旅所」です。上植野町西小路にあります。「向日神社」の例祭の「神幸祭」ではこの地まで鳳輦や鉾など行列が氏子地域を回ってきます。

mu26.JPG

  

    「神輿」が鎮座されます。

mu27.JPG

 

  街道沿いの「南真経寺」(京都府文化財)です。鎌倉末期に「日像上人」の布教により村人が日蓮宗に改宗した信仰の中心です。かって天正末期(1590年)日尭が開いた鶏冠井興隆寺(かいでこうりゅうじ)と呼ばれる東西120m南北140mの広大な境内を持つ寺院でしたが、江戸初期に僧侶の学問所「壇林」を開講するため、南北両真経寺に分割されました。

mu28.JPG

 

     「山門」です。

mu29.JPG

 

   「開山堂」(京都府文化財)です。入母屋造りの瓦葺きの建物です。内陣には「日像上人像」と「十界曼荼羅」が安置されています。

mu31.JPG

 

    「本堂」(京都府文化財)です。宝形造りの瓦葺き屋根で正徳4年(1714年)に建立されました。柱が外側に立っているのが特徴です。

mu32.JPG

 

   「北真経寺」です。正式名称は、日蓮宗「鶏冠山真経寺」です。承応3年(1654年)真経寺を南北に分けて鶏冠井壇林を開き、北真経寺を学問所に、南真経寺を宗教活動の場としました。明治以降は一般の宗教活動の場となりました。山門です。

mu37.JPG

 

   「本堂」(旧の講堂)です。

mu39.JPG

 

      「鐘楼」です。

mu40.jpg

 

    「妙見堂」です。

mu41.JPG

    

    「南門」です。

mu42.JPG

 

   正面に由緒の銘板が置かれています。

mu43.JPG

 

   向日市鶏冠井町の西国街道沿いの「石塔寺」です。鎌倉時代末期、日像上人が向日神社前「法華題目」の石塔のそばにお堂を建てたのが始まりと伝えられています。毎年5月3日の花まつりの「鶏冠井題目踊り」は京都府の無形民俗文化財に指定されています。

mu44.JPG

 

    「山門」です

mu45.JPG

 

   手入れの行き届いた広い庭園の奥に「本堂」があります。

mu47.JPG

 

    「鐘楼」です。

mu49.JPG

 

  「石塔寺」を出て、五辻の信号から西国街道を「一文字橋」に向かうと、歴史の道として雰囲気を感じさせる石畳の道となり、街道筋らしい風致を残し保存している様子が窺えます。

  「街灯」が所々に設置され夜は燈が灯るようです。

mu51.jpg

 

mu52.JPG

 

   街道筋の左右に往時の面影を留める民家が並んでいます。

mu53.JPG

 

   虫籃窓や犬矢来のある旧家が見られます。

mu54.JPG

  

  中小路家住宅(国登録文化財)です。江戸から明治時代の旧家です。

mu55.JPG

 

   「中小路家住宅」です。

mu56.JPG

 

mu59.JPG

  

向日市の南端、長岡京市に接する「一文字橋」です。橋の袂に西国街道と一文字橋のモニュメントが設置されています。

mu60.JPG

 

  「一文字橋」の由来です。(京と摂津西宮を結ぶ西国街道の小畑川にかかるこの橋は、室町時代ごろから有料の橋都も伝えられる、大雨のたびに流されその架け替え費用のため通行人から一文を徴収したのが橋名の由来といわれる。)

mu61.JPG

 

  橋名には「一文銭」のモニュメントが設置されています。

mu62.JPG

 

 

 

 

 

 

 延暦年間(3年〜13年)、長岡京という都が、桓武天皇により平安京遷都までの約10年間、現在の向日市、大山崎町、などに置かれていました。            その長岡京の桓武天皇が政治を治める大極殿や、天皇の居住する内裏、など都の中心あたる場所が長岡宮として歴史的史跡として現在向日市に存在しています。 昭和29年(1954年)より2,200回にわたり発掘調査が行われています。

 

  「史跡長岡宮跡」及び「古墳群」の位置図(向日市歴史まちガイドマップより一部切取り転載しました)

na27.jpg

 

  「長岡宮跡」を簡潔に分かる、向日市教育委員会発行「長岡宮跡」のパンフレットです。長岡宮の史跡はは向日市(むこうし)の広い範囲に広がっており、その面積は東西1.1km南北1.6kmです。                    多くは発掘調査後は、各史跡場所には展示板が設置されて理解が出来るようにしてあり、現在は公園として利用されています。

na28.jpg

 

  「朝堂院公園」です。「朝堂院西第四堂跡」(ちょうどういんにしだいよんどうあと)「南門跡、翔鸞櫻跡」(なんもんあと、しょうらんろうあと) 朝堂院は現在の国会議事堂ような施設です。東西に四堂づつ計八堂からなっています。南門には楼閣が二つありました。

na1.jpg

 

  展示パネルが設置されています。

na2.JPG

 

na4.JPG

 

na5.JPG

  

  「大極殿公園」です。「大極殿 小安殿跡」(だいごくでん、しょうあんでんあと)です。

na6.jpg

   

    「大極殿」は瓦葺きで、礎石に朱塗りの柱が建ち、長岡宮の中でも最も立派な建物で、天皇の政務や儀式を執り行う場所でした。

na9-1.JPG

 

na9.JPGna10.JPG

 

na11.JPG

 

  史跡跡は公園となっており、市民の憩いの場となっているようです。

na14.JPG

 

na15.JPG

 

 「朝堂院東第四堂跡」です、(ちょうどういんひがしだいよんどうあと)

na17.JPG

   

  案内板や石碑がなければ、公園にしか思えない、探すのに一苦労する場所です。

na18.JPG

 

na19.JPG

 

  「かしのき公園」です。「春宮坊跡」(とうぐうぼうあと)です。皇太子の住居です。大量の木簡が出土しました。

na20.JPG

 

na21.JPG

 

 「内裏公園」です。「内裏内郭築地回廊跡」(だいりないかくついじかいろうあと)です。内裏は、天皇と皇后と后たちの住まいで、現在の皇居にあたります。

na22.JPG

 

na23.JPG

 

   「築地跡」(ついじあと)宮殿の境を画する大塀で、幅2.1m推定高4.5mの瓦葺きの土塀跡です。

na24.JPG

 

na25.JPG

 

na26.JPG

 

   長岡宮由縁の「桓武天皇皇后陵」です。寺戸町大牧にあります。

zu10.JPG

 

   「淳和天皇火葬塚」です。物集女町出口にあります。桓武天皇の第七皇子の淳和天皇の火葬された場所と言われています。

zu3.jpg

 

zu4.JPG

 

 

 

<古墳群> さして広くない向日市内ですが、京都嵐山から続く向日丘陵が南北に横たわり、その丘陵頂部に幾つかの古墳が点在しています。

 

 

  「物集女車塚古墳」(もずめくるまづかこふん)です。物集女町南条にあり、古墳時代の後期6世紀中頃につくられた前方後円墳です。丘陵を利用して全長約46mあります。横穴式石室は金銅製の冠や馬具、太刀などが副葬され、権力者の墓と考えられています。現在は公園になっています。

zu1.jpg

 

zu2.JPG

 

  「寺戸大塚古墳」です。寺戸町芝山にあります。竹林の中にひっそりと佇んでいます。古墳時代前期(4世紀前半)の前方後円墳で、墳丘部分は長さ95m高さ9mです。埴輪が大量に出土しました。

zu7.jpg

 

zu8.JPG

 

   この部分は古墳の後円部です。前方部は竹林として現在も利用されています。古墳垣があって中には入れません。

zu9.JPG

 

  「五塚原古墳」です。寺戸町芝山にあります。古墳時代前期の前方後円墳です。特徴として前方部の形が三味線のバチに似ているのでバチ形と呼ばれ、三世紀の有力首長の古墳ではないかと言われています。古墳は全長91.2m後円部高さ8.5mあります。

na0.JPG

 

   案内図です。古墳のそばに、「大池」「はり湖池」というため池があり、水田用水として鎌倉時代から重要な役割をはたしています。また四季折々の美しい景観を利用して、現在公園として整備され利用されています。

zu11.JPG

  

   右は「大池」です。「はり湖池」との間に遊歩道があり、後円墳の頂上に達することができます。

zu12.JPG

  

  「はり湖山」を登っていきます。

zu13.JPG

 

   後円墳の頂上です。標高69.7mの国土地理院の三角点(中央左の石柱の突起物)が設置されています。

zu14.JPG

 

   勝山公園」です。「元稲荷古墳」が公園の中央にあり、向日市向日町北山にあります。三世紀末頃の前方後方墳で、前方後円墳より地位の低い人物の墓と言われ、後方部は3段築成の方形となっています。古墳は全長92m後方部幅及び長さ約50m高さ約7mとなっています。

zu15.JPG

  

  古墳への階段です。

zu16.JPG

 

  階段を上ると後方に長く奥行きがあるのが分かります。

zu17.JPG

 

 

 京都市域に接する向日市。京都盆地の南西部に位置して、市域は東西約2㌔南北約4㌔と面積は77.72k㎡と全国でも3番目に小さい市です。しかし歴史的にも多くの史跡や重要文化財が多くあり、急速な都市化の中でその保存に努力されていることに、今回訪れてみて改めて認識しました。

 

 

 

 

 

 京都の西南に位置する洛西の大枝、大原野、向日市にかけては古くから京のたけのこの産地として有名でした。そこに広大な「洛西ニュータウン」が建設され、それを記念して昭和56年(1981年)竹林公園が開園されました。公園の面積約35000㎡、(甲子園のグランドやスタンドを含めた広さに相当します)約110種類の竹や笹を配し、生態園を含めた回遊式庭園です。

 

「竹林公園」のパンフレットです。

take1.jpg

 

 京都市内から「竹林公園」への道筋には、洛西地域に入ると竹林の生茂る「西の岡竹林道」を行きます。そこには道路脇両側に、オリジナルの竹垣が公園入口まで続いて、ほとんど車の往来の無い、絶好の静かな散歩道となっています。

    「かぐや垣」です。

take2.JPG 

   「海道垣」です。

take3.JPG

 

    「竹穂垣」です。

take4.JPG

 

    「来迎寺垣」です。

DSC00841.JPG

 

    「寺戸垣」です。

DSC00949.JPG

 

    「竹穂垣」です。

DSC00955.JPG

 

   このような「道」が延々と続いています。

take5.JPG

 

take7.JPG

 

      「物集女垣」です。

take8.jpg

 

   「竹林公園」の入口です。

take9.JPG

 

   入口を入って、左右に植栽された各種の竹を眺めながら(竹の小径)を道なりに進んでいきます。

take10.JPG

   

   「竹の資料館」が建っています。

take11.JPG

 

   キッコウチク(亀甲竹)です。

take12.jpg

 

  「竹の資料館」の前から西方に「洛西ニュータウン」を眺めることができます。

take13.JPG

 

  遊歩道が続いています。品種名板が取付けてあり、竹の名称などがよく分かります。

   キンメイモウソウ(金明孟宗)です。

take14.jpg

 

    ホウオウチク(鳳凰竹)です。

take15.jpg

 

    カンチク(寒竹)です。

take16.JPG

 

  「竹の資料館」の内部です。パネルの展示や実物などを通して竹の勉強が出来るようになっています。

take17.JPG

 

    「京銘竹」の展示です。和風建築の装飾品として、床柱や壁止まり、天井材などに広く使用されて独特の優雅な趣を醸し出す材料です。

take18.jpg

 

   「資料館」のテラスにでると、目の前に手入れの行き届いた立派な庭園が広がります。

take23.JPG

 

   テラス前には新緑に映える「しだれもみじ」の深紅が一際目立ちます。

take19.JPG

 

   「資料館」のテラスから「茶室」を眺めています。キンメイモウソウと白砂の散策道が目を惹きます。

take20.JPG

 

  茶室「竹風軒」内部です。京銘竹や竹工芸品を用いて建築されています。

take21.JPG

   

   「茶室前」から「資料館」を見ています。

take22.JPG

 

  庭園に架かる「百々橋」(どどばし)です。応仁の乱の合戦で、京の宝鏡寺門前の小川を境に東軍、西軍の激しい戦いが行われました、その小川に架けられていた石橋が「百々橋」と呼ばれ、その後、いく度かの戦いの後、昭和38年(1963年)に小川が埋められ、その歴史的遺構としてこの場所に移築されたものです。

take24.JPG

 

  「百々橋」を渡り階段状の遊歩道を上っていきます。

take25.JPG

 

  「クマササ」が一帯に繁茂しています。

take26.JPG

 

  「見本園」です。日本各地のささ類を植栽しています。

take27.JPG

   

   「ミヤコササ」です。

take28.JPG

 

   小高い丘の一画に「石仏群」が安置されています。織田信長が、室町幕府最後の将軍、足利義昭のために築いた、旧二条城の石垣に使われたという石仏約350体が安置されています。

take29.JPG

 

take30.JPG

 

take31.jpg

 

  小高い丘から「資料館」を見下ろしています。

take33.JPG

 

   「竹林公園」を出て、「京都市域」から「向日市域」に入ると、「竹の径」と称して、また同じように静かで涼しい道が「寺戸方面」に続いています。時折散策する人々に出会うだけの得難い竹の道が、我々を迎えてくれます。

take34.JPG

 

 

 

 

 

2020年3月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

このアーカイブについて

このページには、2016年5月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2016年4月です。

次のアーカイブは2016年6月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ウェブページ

Powered by Movable Type 5.2.10