瑞饋祭。瑞饋とは、めでたいしるしをおくること。
平安時代、西之京神人(じにん)が五穀豊穰を感謝し、そのお礼として旧暦9月9日(重陽の節句)に自分たちが作った新穀、野菜、果実などに草花などを飾付け、菅原道真公の神前にお供えしたのがこのお祭りの始まりと言われています。
北野天満宮の氏子でもある、西之京の人々は、明治時代になって天神さんの神幸祭と共に、お祭りを行うようになりました。
西ノ京の人々により1ヶ月掛かりで作り上げられたずいき神輿は、御旅所で10月1日より4日までお披露目されます。
お祭りは、10月1日の神幸祭の北野天満宮からの行列を、西之京にある御旅所にお迎えして、10月4日まで在所されます。
4日には、御旅所から北野天満宮への還幸祭が行われ、瑞饋神輿も氏子町内を練歩き、北野天満宮へとまいります。
現在の(西丿京)地域は、殆ど都市化が進み、田畑も少なくなり、飾付けの素材の調達の難しさは想像にするに難くありません。その中で拝見したような素晴らしいズイキ神輿を毎年奉納し続ける事そのものの困難さを、このお神輿を拝見してより一層痛感いたします。
その伝統を守られる熱意に頭が下ると同時に、これからもなんとか続けて欲しいと願わずにいられません。
北野天満宮の御旅所
大鳥居です。
鳳輦を収める本殿です
駐輦されている間、多くの氏子の皆さんのお参りがあります。
御輿岡神社(みこしがおかじんじゃ)お旅所の中に鎮座されています。
境内にある、クロガネモチの大木です。(京都市保存樹)
瑞饋神輿を収めて皆さんにご披露します。
4日間 ご披露される、瑞饋(ずいき)みこしです。
屋根の部分ですが、葺いてあるズイキは、上の赤いのが唐の芋、親芋は頭芋、子芋はえび芋です。下の緑色のが真芋です。
唐破風の曲線美を葺くのが見所です。
瓔珞(ようらく)四方の隅を飾る瓔珞は、赤なす、五色とうがらし、麦わら細工の三蓋松などの家紋を糸に通して作ります。
瑞饋(ずいき)みこし 正面です。
見るほどに、聞くほどに、上手く細工された、野菜や、穀物、草花、干物などに感心します。
瑞饋(ずいき)みこし 背面です。
真紅(しんく)屋根から下へのびる赤い柱は、千日紅という赤い花を糸を通して巻いたものです。
天満宮の文字は白い千日紅の花です。
鳥居は、柱には麦わら細工で龍が彫られています。額の天満宮の文字も麦わら細工です。
瑞饋(ずいき)みこし 側面です。
欄間は毎年、趣向を凝らして題材を考えて作ります。材料は干しズイキ、ズイキの葉、トウモロコシの皮や毛、とうがらし、九条ネギや南瓜の種、青のり、昆布などです。
ずいき神輿、いよいよ出番です。
鳥居をくぐって、ずいき神輿が出立します。
氏子町内の沿道を、勢いよく練り歩いて行きます。
ズイキ神輿が威勢よく出発した後、還幸祭の祭列が北野天満宮に向かってお旅所を出発します。
猿田彦大神像で、還幸祭の先陣を務められます。
管蓋です。
紫翳を捧げた人々が続きます。
第一鳳輦(ほうれん)の出発です。
続いて第二鳳輦です。
葱華輦(そうかれん)です。
華やかな祭列が続いて北野天満宮を目指します。
天満宮着後、還幸祭が行われ、後に后宴祭があり、八乙女舞が奉納されます。
瑞饋祭のコメントは、「西之京瑞饋神輿保存会」の資料から引用しました。
<メモ>
北野天満宮お旅所へは、JR嵯峨野線、円町駅から西北に歩いて、約6分。
妙心寺、南総門から同じ「上の下立売通り」を東へ歩いて、約8分です。
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